大石蔵人之助の雲をつかむような話

株式会社サーバーワークス 代表取締役社長 大石良

内田樹先生の「日本辺境論」を読みました

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こんにちは、大石です。

敬愛する思想家である内田樹先生の最新作「日本辺境論」が発売になりましたので、早速拝読しました。 話のさわりだけ伝えると、本書の主張は以下のようになるかと思います。

・日本人とは辺境の民である。辺境とは「中華」に対しての辺境という意味であり、地政学的な制約によって規定される。思想、文字の成り立ち、宗教など、様々な事柄、場面において「他に中心がありそれとの比較で物事を考えることが辺境人である日本人の本質である」と帰納的に導かれる。この論自体は新しくなくとも、日常の一部としてそれを繰り返し理解し後生に語り継ぐことが重要である。

・日本人は正しさを外部に求めて変化するが、そうした変化のしかたは変化しない。そうするのが日本人のナショナル・アイデンティティである。これは変えようが無いし、1500年もの間その考え方が生き延びてきたのは、そこに理由があるからだ。私たちはそれを認識し、私たちにできる、私たちが得意なことに集中すべきだ。

・その一つに「道」という学びのシステムがある。日本人は事前に師を比較吟味するといったことはしない。なぜなら「弟子には師を比較考量するだけの能力が無い」と考えるから。しかし一度学びが発動すれば、師自身や師の教える「コンテンツ」に関係なく、弟子の周りに起こる全ての事象から学びを得ることができる。これは極めて効率的な学びの装置である。

普段われわれば漠然と感じている「フィンランドの教育はすごいらしいのに何で日本はこんなに駄目なのか」「何で日本の政治かはああなのか」などといった「もやもや」に対して「そういう発想が辺境人たる日本人固有のもの。俺たち辺境人なんだからしょうがないじゃん」という解答を実にわかりやすく突きつけてくれます。

もともと私が内田先生の著作なり考えなりに興味を持ったのは、2005年ころから会社で所謂「未経験者」を採用することになり、図らずも「教育とはなんぞや?」という問いを自らに発せざるを得なくなったことが始まりです。

そんなときに「学びというものは、それによって何が得られるかという問いの内にはない。なぜ学ぶのかわからないが、学んだ方が良いという確信によって支えられる」なんていう言説を目にし、「ハァ?」となったところから深みにはまっていきました。 ちょうど同じ頃、某居酒屋社長が「教育はチケット(バウチャー)で良くなるのだ!」と気焔を上げるのをみて「居酒屋の割引券と違うんだからそんなわけ無いでしょ。誰か止めてよ」と思ってはみたものの、経験的確信をもって「教育現場に競争原理を持ち込むべき論」に反論できるだけの理論的下地が私に無かったばかりに指をくわえて眺めるしか無かった訳ですが、そんな折りに内田先生の明快な反論に触れて、そこからのめり込んで行ったわけです。

今回の著作では、内田先生が繰り返し述べておられる「学びのメカニズム」に、「道」という要素をくわえて「なぜ辺境人にとってそれが有利か」を改めて説明されています。曰く「剣道でも柔道でも華道でも、『道』には『師』がいて、弟子は無条件に師を信ずることから効率よい学びが発動する」と。

ITの世界にも「プログラミング道」なるものがあって、師弟関係があったらどれほど良いでしょう。日本は絶望的なほどのソフトウェア輸入大国ですが、「米国のものの方が優れているに違いない」という辺境人マインドと、「ソフトウェア技術を自分たちのものとして消化する前に、次の技術が押し寄せてくる」という二重苦よって、師の存在が排除され続けているように思われます。 だいたいこの業界で「プログラミング一筋20年」という人は「マネジメントの道に乗りそびれた落伍者」という烙印が押されていて誰もそんな人の話は聞いてくれませんし、マネジメントに行った人は行った人で「ITの本懐はコミュニケーションにあり」などとしたり顔で言ういうもんですから、道を究めようにも入門者が師事すべき師の存在が無いわけで、これでは学びが発動しなくても仕方ありません。 それでもって(私もそうですが)師がいないから仕方なく「キャリアプランで何を学び、どうなって欲しいかを事前に見せようか」という発想に至るわけですが、内田先生曰く「事前に何を得られるかを一覧的に開示することによって学びのモチベーションは破壊される」 という堂々巡りに至るわけです。

当然私は企業経営者なので、常にこうした一般論を個別具体的な「自社に照らしてどうか」というレイヤーまで押し下げて考える責務があるわけですが、これについては「10年かけて師を育成していくしかない」と思っています。 幸い?なことに、経営者が師でなければならない理由はありません。技術的には私よりずっとすぐれたメンバーが居ます。私は「道場のビルを持っているオーナー」で良い。結果として学びのパフォーマンスが最大化され、私を含めた社員全員が、技術的、人間的に成長できれば本望です。

以前このブログでも書いたことがありますが、『ゆとり世代』は完全に私たち大人の問題です。我々がそれを望んで、十分に予見し得た結果を得た。学校教育の崩壊が叫ばれていますが、それは私たちの選択の結果であり、責任の一部は企業が担わなくてはいけないことは明白です(私のように若い世代の創業者は完全にババを引いたことになりますが・・)。 企業がその心構えを学ぶにあたって、内田先生の創見は、骨の髄まで資本主義マインドに毒された私や私たち世代のビジネスマンにとって得るところが非常に大きいと思います。

日本の将来について少しでも懸念するところがある全ての方に、一度は読んでいただきたいと思います。