こんにちは、大石です。
人に勧められて、かつ年末からNHKでドラマが始まるということを受けて、夏休みの1週間ほどの間に「坂の上の雲」を読んでみました。
歴史物としては「ローマ人の物語」以来の面白さと思いましたが、それ以上に思ったことが、
羨ましい
明治期の人々が、愚直なまでに「国を守る」ことに執着して、しかるべき人がそのための大戦略を描き、人々は学問・修練を通じて戦術を実現するという様子が大変小気味良く、国全体が、よく教育され、訓練された会社組織の様な動きをしていることに新鮮な感動を覚えました。
児玉源太郎による二〇三高地の攻略に関する越権行為も、理想的な組織が必ず持っている「規則よりも原則を重視する」精神の発露であり、これも「国を守る」という原則が徹底されていればこそ出来るウルトラCと解しました。
ちょろちょろ政策を小出しにして、国民のご機嫌を伺いながら「マニフェスト」なるものを作るという場当たり的なものではなく、国防という唯一事について首尾一貫しており、現代の国民が欲している「大戦略」が明確になっている様子が描かれています。
(もっとも、マニフェストについては今の選挙制度では仕方が無い、誰がやってもそうならざるを得ない部分もあると思うので、やり方を全否定している訳ではありません)
こうした一貫した姿勢は、例えそれが「国が無くなるかもしれない」という危機感、即ち外圧から出たものであったにせよ、皆が共通の価値観と使命感をもって事に当たるというのは、価値観が多様化する現代の社会には見られないものであり、今を生きる私たちにとってみれば「羨ましい」と素直に思わざるを得ません。
この時代の人々に
「100年後には
『君が代は歌えない』
『国旗はいかん』
『日本列島は日本人だけのものではない』
などという人々が居るんですよ」
と伝えたら、どれほど切ない思いをされるでしょう。
私たちの祖先が国を守るためにどれだけの血を流してきたのかを思えば、安易にそのような言葉は出てこなのではないかと思うに至り、改めて歴史を学ぶことの意義を感じさせられました。
なんでも「愛国」という言葉は禁句だそうですが、真に愛していればこそ、先の大戦のような破滅的な道ではなく、真に自立と融和に基づく関係を築くべきと思うのですが、どうもこの手の議論になると思考停止になってしまうのは日本人の悪癖なのでしょうか?
坂の上の雲を読み、仮に日露戦争で負けていれば北海道がロシア領になっていたかもしれない、そうなれば札幌出身の家内とも出会うことも無かったかも知れないと思い、今こうして日本で平和な生活ができるのも、先人が流した血と、不断の努力の賜物であるということを感じずには居られませんでした。