こんにちは、大石です。
今年の生成AIに対する盛り上がりは凄かったですね。12月初旬に開催されたre:inventもまさに「生成AI一色」といった雰囲気で「DynamoDBやLambdaで喜んでた人たちはどこに行ったんだ?」と疑いたくなるほど生成AI一色といった雰囲気でした。技術レポートはたくさん転がっていますが、ビジネスパーソン視点でのまとめはこちらのWebinarで話していますので、ご興味のある方はぜひご覧下さい。
昨今は事業のあらゆる局面で生成AIを活用し競争優位を確立させようと動いていらっしゃる会社が大半だと思いますが、ご多分に漏れず当社も聖域なく生成AIを活用していこうというフェーズです。
定番では一般的な調べ物やアイディア出しの類です。例えば当社に「サステナビリティ委員会」という名前のタスクフォースがあったのですが、昨今サスティナビリティという言葉に若干の逆風を感じるところがあり「何か良い名前はないか」とチームの中で議論し、下のようにChatGPTに聞いてみたのです。
「サスティナビリティ委員会という名前を糸井重里がネーミングしたらどうなるか?」
その結果「これは本当に糸井先生が作ったんじゃないか?」というクオリティの秀逸なアイディアが複数あがり、結果「やさしさデザイン室」という名前に改称することに決めました(「人にも環境にもやさしい、そんな会社をデザインしましょう」だそうです😅。すごすぎ)。
また変わったところでは、エンジニアの技術トレーニングへの活用例というものもあります。
当社では、中途入社のエンジニア向に3ヶ月のバーチャルプロジェクトに参加してもらう、というカリキュラムがあります。これは、これまで当社が経験してきたプロジェクトを一般化し、追体験してみて、AWSの設計から構築に係る流れを(かなり現場に近い状況で)体験してもらうというものです。この取り組みは非常に効果が高くトレーニーの評判もよかったのですが、一方でトレーナーの負荷が高く、トレーナーの人的リソース不足がボトルネックにもなっていました。
そこでこのバーチャルプロジェクトにおけるトレーナーを生成AIで代替しようと言う取り組みを今年から始めたのですが、これが非常にうまく機能しているのです。
(実際のコミュニケーションは、BacklogというSaaSを使ってチケットを介して行っています)
昨年までは「どうやって生成AIに学習させるか?」という会話をしていましたが、今は「どうやって生成AIに学習させてもらうか?」という会話に180度変わっており、技術的な変化の早さを感じざるをえません。
他にも数えたらキリがないほど、生成AIは当社のオペレーションに組み込まれていますが、一方で「戦略とは何をしないかを決めること」と言う言葉がある通り、生成AIを適用することで将来組織に害をなすであろう領域については、戦略(というか哲学)をもって「やらない」と決めていることもあります。
その中の最たるものが「社長の分身を作らない」というものです。
昨今生成AIを使って社長や社内のお偉いさんの分身を作り、役員会に陪席させたり、議論の際に壁打ち相手になってもらうといった使い方をしていると言う例を見受けますが、私はこれを「組織にとって極めて有害な使い方だ」と判断し、当社では絶対にこのような生成AIの使い方をしない、と断言をしています。その心は、
- 頼りグセがつく
生成AIで社長のコピーができると「気軽に聞きやすい」という話しを聞きます。ですが、それは「社長にお伺いを立てる」という行為が常態化するということでもあります。経営者か従業員かは関係なく、目の前の仕事について自分で考え、仮説を立て、実行し、自分で責任を取るという気概がプロには絶対に必要です(実際に取るかどうかは別の話)。
もし私が社長AIに資料のダメ出しをされたらそのAIにこう言いますね。
「そんなに言うんだったら自分で作って下さいよ」 - 視点の違いが失われる
そもそも、役職の違いは役割の違いです。私が社内で絶対に言わないと決めていることの一つに「経営者目線を持て」というものがあります。そんなことはムリに決まっています。そもそも社長はスカイツリーの上に立って「おい!あっちにお宝があるぞ!」というのが仕事です。道ばたに落ちている1,000円札は見えないのです。でも仕事をしていれば、足下の1,000円がとてつもなく重要なことがありますし、それがあるから会社が成り立つ側面もあるわけです。全員がスカイツリーに上って「ほんとだ!あっちにお宝がありますね。へー」では困るわけです。視点の違いを生成AIがスポイルしてしまっては、多様な意見や多角的なモノの見方が失われてしまいます。 - 状況の変化に対応できない
とてつもなく優秀な経営者でも、時代が変われば通用しません。最近でもトップダウンで業績を伸ばしてきた企業が、実は不正会計の温床になっているのではないか?と強く疑われるケースも出てきています。本田宗一郎さんの伝記とかを読めば分かりますが、現代で同じ事をやっても絶対に通用しません。
サイバーエージェントの藤田社長が52歳という若さでトップ交代という判断をされましたが、人と組織に関する造詣が極めて深い同社ならでは、と驚嘆しました。同社では若いトップ、若い人材が活躍し変化に対応し続けられる環境だということが担保されたわけです。
生成AIは原則として「過去の学習データに基づいて統計的に回答する」類のもので、未来を創ってくれるわけではありません。状況の変化に対応するのはどこまでいっても人間の仕事です。
そもそも私にはテクノロジーを使って自分の知性を後世に残そうなどと言う発想が全く理解できません。自分の知性が博物館にでも展示され賞賛を浴びるほど卓越したものだと自分で評価しているのでしょうか?もしそのような評価を自ら下しているのであれば恐ろしいほどの知的傲慢と言わざるを得ませんし、仮に周りがそのようにお膳立てをしたのだとしたら、短期的な忖度とご機嫌取りを優先し長期の害をよしとするスタッフを登用した責任を自問すべきです。
クリスマスにこんなことを言うのもアレですが、私たちは、老いて、死ぬことが定められており、それが宿命付けられているからこそ、決められた期限の中で最大限パフォーマンスを発揮しようと努力する、というのが私の信念です。
手塚治虫の「火の鳥」の中で、ある人物が生物を殺した罪に問われるシーンがあるのですが、この罰とは、永遠の命を与えられることでした。これは凄まじい罰で、時間が無限にあることほど恐ろしいものはないと思い知らされます。
社員にも社長にも任期と老いという時間的制約がある。だからみんながんばれるし、社長や役職者が代わることで人も育っていくわけです。
生成AIは様々なことができますが、だからこそ「何に使って、何に使わないのか」という高度な判断が求められ、その中には技術だけではない、哲学的な思索を要するものも多くでてきそうだと感じています。
私たちは、老害の残滓を振りまくような用途ではなく、人が学び、育ち、活躍していく場を創るためにAIを活用していきたい。技術だけでなく芸術や哲学といった幅広い知識の習得を通じて、生成AIという道具を「人の未来のために」使っていきたいと考えています。
私たちの考えがサンタさんを通じて少しでもみなさまのご自宅に届けば幸いです。
よいクリスマス&お正月を!