大石蔵人之助の雲をつかむような話

株式会社サーバーワークス 代表取締役社長 大石良

非イケメンの意味

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ネット流行語大賞なるもので、2009年のネット流行語はただしイケメンに限るになったそうです。

文脈として「俺はイケメンじゃないから駄目だけどね」
というニュアンスの、自虐的な意味合いで使われることが多いようです。クリップボード

この「イケメンでなければ駄目なんでしょ」という態度は、
大げさに言って、日本の将来のためによろしくない
と思うところがあり、おもしろくないエントリというご批判を覚悟の上で私見を述べたいと思います。

私は、企業経営者としてサーバーワークスという会社を10年、20年という長期にわたり成長に導きたいと強く願っており、そのために努力で達成できることに労力を惜しむつもりはありません。ですが、少子化が進行して経済が縮小し若年労働者が極端に減ってしまえば、少なくとも今の形態で仕事を続けることはできません。
人口が少なくなる中で縮小均衡を図るという考えもあるようですが、そうした試みが成功した例を知りませんし、だいたい生まれる人の数が減れば集団として消滅するのは子供でも分かる理屈ですので、「日本の未来をどうしようか?」という議論をしている時に「無くなってもいいじゃない」という前提の理屈に説得力がある様には思われません。私としては、前提として「現状を維持するか、微増する程度にバランスさせることが望ましい」という立場をとっています。

しかし、少子化というものは現実に進行していて、主因の一つに「晩婚化」があります(ソース)。
晩婚化が進んでいる理由として、「男性の草食化」がよく言われますが、「草食」というのは「肉食」との食べ別けであって、(「食」という漢字を充てることの是非はさておき)食べようとしてすらいない男性は「無食」というのが適切でしょう。そして数ある「無食化」の要因の一つとして、「俺はイケメンじゃないからダメだ」という先入観があるように思われます。その想像の確からしさは、この自虐的なネタが流行語大賞になったことが説明してくれています。

もちろんこういう先入観を持った人も、好きこのんでそうなったわけではなく、そういう先入観を持ったとしても仕方のない経験など考慮すべき事情があったのでしょう。ですが、それを承知で言いますが、「イケメンでなくても俺の遺伝子がこの世に存在するのは、何らかの優位性があるからだ」という(根拠は希薄でも、事実としてそのような)自信を持つことは、本人が幸福な人生を送るためにも、人類の未来のためにも、どちらにとっても必要な態度だと思うのです。

私は、身長が高くない男性がそのコンプレックスをうちあけてくれた時に
「核戦争が起こって人類が地下で暮らすことになったら身長が高い人から順に淘汰されるから、君の遺伝子は絶対に必要だ」
という話をしたことがあります。
半分は冗談ですが、半分は本気です。
これから先、私たちに何が起こるのかだれも予想はできません。
地球温暖化で国土が半分になるかもしれないし、国を挙げて誘拐に勤しむお隣の国がミサイルをガンガン撃ってくるかもしれない。
そういう「危機」が発生したときに、集団として生き残ることができるかどうか。それはひとえに集団としての多様性にかかっています。

単一の価値観に染められた集団は、短期的な成長には非常に強い。織田信長ヒトラーも、緒戦は強かった。
ですが長期的には多様性を受け入れられる集団の方が強いことは歴史が証明しています。ローマがあれだけ長期にわたって繁栄できたのも、仇敵に対する寛容だと「ローマ人の物語」の中で繰り返し述べられています。自分達と異なる考えや文化を受け入れ、消化してきた。そうした態度が繁栄に結びついた訳です。

経験的にですが、女性の方が(男性が思っているよりも)ずっとシビアに男性のことを観察していて、顔が良いかどうかといった単純な価値観でなく、多面的・複合的に異性を観察しているように思われます。そのことが集団としての多様性を育んできた。むしろそういう考えでなければ、「異性に対する魅力というものは時代と共に移り変わっていくのに、人類は変わらず生存し続けている事実」を説明できません。
そうした事実を無視した「どうせあなたたちは男の顔しか見ていないんでしょ」という態度は、女性を軽蔑したというか、男性諸氏からは想像も付かない女性の叡智を無視したものの様に思われるわけです。

 

私たちは、長期的な成長を目指しています。
社長が「これやれ!」といって「アイサー!」と盲信的に動く集団ではなく、自らが考え自発的に動ける、そのために多様な考えを受け入れ、消化し、成長の糧にすることができる組織が私たちの理想です。
その理想を実現するためには、自らも「多様性」に対する正しい理解、すなわち「組織には様々な人がいて、それぞれの人に存在に意味がある」という信念を持つ必要があります。
そして多様性を理解している人であれば、「顔がちょっとイケていない」などという些末なことを卑下することもないし、むしろ「今はイケていないように見える顔にも、実は意味がある」という様に捉えることができるはずです。

私が最初に「※ただしイケメンに限る」を見たとき、「多様性への理解が根本的に欠落している」という危機感を禁じ得ませんでした。

少なくとも自分たちは、多様性というものを理解し、実践しなくてはいけない。
そうした自らの指針を表明するため、「ネタにマジレスかよ!」という突っ込みを覚悟の上で私見を綴った次第です。