大石蔵人之助の雲をつかむような話

株式会社サーバーワークス 代表取締役社長 大石良

休日をまとめたのは、ゆとり対策です!?

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こんにちは、大石です。

未曾有の不景気の中、世間では「ありがたくない12連休」などと言われているようですが、当社は相変わらず人手不足が絶賛継続中です。このご時世に贅沢な悩みができることにつきましては、お客様をはじめとする皆様に、この場をお借りして心よりお礼を申し上げます。

人手が足りないことを嘆いても仕方ないので、採用を強化したり、社員教育の内容をできるだけ充実させたりと生産性の向上に腐心しているわけですが、その一環としてこのたび

4月29日のお休みを5月1日に移動させて頂き、5月1日~5月6日までをお休みとさせていただく事と致しました。

御迷惑をおかけいたしますが、ご協力方々よろしくお願いいたします。

4月29日の休みを移動してまとめることにした理由は、一言で言うと飛び石+連休コンボのせいで「ダレる」からなワケですが、私たちのように頭が資本という企業にとって、休みのせいで脳のパフォーマンスが上がらないというのは致命的な問題です。

ただ、私たちが一社でこれを言ったところで仕方がありませんので、「与えられた条件の中でどうやって最善を尽くす=生産性を高めることができるか」ということを考えたときに、休暇を可能な限りまとめて取得することで、休む、働くのON/OFFをはっきりさせよう、ということになりました。

これによって、4月29日が飛び石になってしまいパフォーマンスが上がらない事態を避け、仕事モードの脳をキープして良い状態で仕事に取り組めると考えています。

日本ではゆとり教育の見直しが始まっています。「国に資する人財を育成するには、教育にかける時間も重要だ」という当たり前のことが見直された結果だと思います。ところが、肝心の社会人はどうでしょう?ゆとり教育の見直しで、「子供はやはり勤勉でなければ!」と言っておきながら、「大人は休むべし」といっている。そんな身勝手で真に子供が育つはずがありません。 一生懸命に働き、自分の時間を学びに、家族のためにフルに使う。時間は平等なので、密度を上げていく。そうした姿勢が大切だと思うのです。そのことを伊藤忠商事会長である丹羽宇一郎氏は「泥のように働け」と言い、マネックス証券松本大氏は「仕事というものは量が質を凌駕する」と表現されたのだと理解しています。

私には信念があります。それは、

仕事で充実していなければ、プライベートを充実させることはできない

というものです。

私たちが心を動かされるのは、いつの時代も「プロフェッショナルの姿」です。北島康介にせよイチローにせよ、自分の仕事に没頭して素晴らしいパフォーマンスをあげる。その姿に私たちは心を打たれるのです。

イチローだってワークライフバランスは大切です。それでもイチロー婦人は(おそらく)「練習しないで私と居て」とは言わないでしょう。この推論は、イチロー婦人が他の誰よりも、仕事で最高の成果を上げる夫の姿に尊敬の念を抱いているだろうから、と容易に推測できるから成り立つのです。

私はいつか会社参観日を作りたいと思っています。 一生懸命に仕事をするプロフェッショナルとしての姿を、自分の家族や恋人、パートナーに見せて、自分が仕事で実現しているパフォーマンスの一部を見てもらう、知ってもらう。それによって、お父さん、お母さん、配偶者、パートナーに対する尊敬の念が生まれれば、それはとても素晴らしいことだと思うのです。今の世の中、家で怒鳴り散らすことが父親の威厳ではないと思います。そんなことをしたらファミハラとか言われてしまう。

会社の上司、部下から「あなたのだんなさんは仕事でこーーーんなに素晴らしいことをやっているんだよ!」と教えてもらえれば、お父さんが日曜日にだらだらしていても「あぁ平日あれだけ頑張っているんだから充電も必要よね」と暖かく見守ってあげられると思うのです!(←激しく希望的観測)

上の理由は冗談にしても、ビジネスプロフェッショナルとして仕事の時間を充実させ、参観日などの仕組みでその充実ぶりを知ってもらう機会を作り、それによってプライベートな時間もより価値あるものにする。仕事とプライベートの両立というのは、こういうことだと思うのです。

今の日本は「ワークライフバランス」というと「休暇を増やせ」とか「日本人は有給の取得率が低い」などという、仕事=悪、休み=善という二元論で語りたがります。

それについては是非みなさん安心して頂きたい。80年代以降のアメリカのプレッシャーによって、日本は晴れてアメリカ人よりも働かなくなりました。驚くべき事に、韓国人の3分の2しか働いていないのです。有給の取得率は低くても、先進国随一の国民の休日ラッシュで、それを補ってあまりある休暇を手にしています。

OECD Factbook 2008「年間実労働時間の国際比較」より

私たちは、失敗に学ぶことが出来ると信じています。それは即ち、

ゆとり教育」の失敗を、社会人に移植してはならないということです。

ゆとり世代は、完全に被害者です。自分たちの意志と関係なく、大人が制度をそう決めたことで、そうなってしまった。この責任は私たち大人が取らなくてはいけない。

しかし、私たちは違います。

「ゆとり社会人になるかどうか」 この判断は完全に自分に委ねられています。

そして、成果主義が給与体系の根本となり、年金制度の維持も危ぶまれる今、ゆとり社会人が悲劇的な老後を迎えるであろう事は想像に難くありません。

ただ一つ私が警鐘を鳴らしたいのは、意識的にゆとり社会人としての道を選択したのではないが、マスコミなどが喧伝する「休み=善=ワークライフバランスの実現」という論調を盲目的に信じてしまって、振り返ってみたら結果として「あのひとはユトリストだから」などと言われるようになってしまう。そういった被害者を無意識のうちに生み出すような事態は避けなければいけない、ということです。

仕事の密度を上げる。良く学び、良い仕事をする。

二宮尊徳が教える「勤勉」という美徳を見直すべき時が来たのではないでしょうか?

たかだか1日の休日を動かすだけの話ですが、その背後には上記のような私の問題意識が横たわっています。

そのことを是非みなさんにご理解頂きたく、長文を承知の上で書き綴った次第です。