大石蔵人之助の雲をつかむような話

株式会社サーバーワークス 代表取締役社長 大石良

パワハラ・セクハラは「受けた人だけが決める問題」では無い

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こんにちは、大石です。

最近「ブラック部活」や「パワハラコーチ」などの報道が世間を騒がせています。少し前ですが大分の暴力剣道教師や、今年話題になった日大アメフト部の違法タックルなど、選手の人間性や将来を無視して暴力で選手を無理矢理強くさせようとする指導者の存在が、日本のスポーツに暗い影を落としています。 今回報道された体操のパワハラコーチも、報道によれば日常的に馬乗りになって暴力を振るったりと言語道断ともいえる指導を繰り返していたとのこと。 ですが、この問題が今までの報道と少し違う点が、当の選手が以下の様なメッセージを発したところにあります。

暴力は良くないことだとはわかっていますが、私は速水コーチに対して、パワハラされたと感じていませんし、今回のことも訴えたりしていません。

わたしはこれを読んで「長年一緒にやってきたコーチを急に失って気の毒だ」とは思いつつも、強烈な違和感を覚えました。 ハラスメントの問題を1対1の問題に矮小化しようとしている、と感じたからです。

私たちもハラスメントのない会社を目指してコンプライアンス委員会を立ち上げていますが、その場で毎回私から、

コンプライアンスとは「法令遵守」と訳されるが、これは間違っている。 法令遵守は当たり前のことで、真のコンプライアンスとは「社会からの期待値を理解し、それを上回ること」

という話しをしています。

よくセクハラについて「受け手によって感じ方は変わるから難しい」などという人がいますが、その認識は間違っていると思います。ハラスメントとは「受け手との1:1」の話ではなく、それを見た人、知った人がどう思うかという「1:n」の話しであることの理解が足りていないように感じられます。

仮に今回のパワハラコーチの問題が「1:1の中で容認されたから良い」「これまでもそれでやってきた」という理屈で正当化されてしまえば、暴力の拡散を認めてしまうだけでなく、この選手が将来コーチになったときに「自分もこれで強くなったんだから、教え子も暴力で強くしよう」という理屈が正当化されてしまいます。

今回の暴力コーチの件も、当人とコーチの間ではそれが常識でも、世間一般でそれが常識で無ければ立派なハラスメントです。その点で「ワンアウトチェンジ」を選択した日本体操協会の判断は正しかったと私は考えます。

スポーツは「ただ勝てば良い」というものではありません。決められたルール内で、高いスポーツマンシップを表現してこそ社会的に存在価値があると認められるわけで、これがスポーツに対する社会からの「期待」です。何をしてでも勝てば良いのであれば、ドーピングも暴力的指導も(日大アメフト部で問題になったような)意図的に怪我をさせる行為も許されてしまうことになってしまいます。 日大アメフト部の監督が信じられないほどに愚かだったのは、カレッジフットボールに対するこうした期待を全くといって良いほど理解していなかった点にあります。

そしてこれはスポーツに限った話ではなく、ビジネスの世界も一緒です。単に儲かっているとか競争に打ち勝つだけでなく、市場のルールは守っているのか、そのビジネスに社会的な意味があるのか、会社や社員の振るまいが社会の期待にマッチしているかどうかがとても大切で、こうした期待に即していなければいくら利益が出ていても会社の存在意義そのものを問われかねません。

ハラスメントの話になると、よく「最近はあれもこれもハラスメントで息苦しい」と仰る方をお見受けしますが、私はそうは思いません。禁煙化が世界的な潮流で後戻りできないことと同じで、ハラスメント撲滅も「(物理的・精神的両面から)暴力を排除しよう」という不可逆的な流れです。禁煙化が進んだ社会が以前よりも住みよい環境になっていることと同様に、ハラスメントがなくなった社会は、もっと住みよい、はたらきやすい世の中になっていると確信できます。

1日も早く、暴力や恐怖の連鎖を撲滅し、社会の期待にそった明るい未来をみなさんと一緒に創っていきたいと強く願ってやみません。