こんにちは、大石です。
今日は個人的な話題になることをお許し下さい。
先月30日、私の中学、高校の同級生で大切な友人である樋口正之輔くんが、37歳という若さで逝去されました。死因は脳幹出血とのことで、倒れてすぐに人事不省というあっという間のできごとだったと伺いました。
この場をお借りしてご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
親しい友人の死が初めてだったことから、非常に動揺し、訃報に接した際は、悲しみよりも驚きというか、信じられない気持ちが先に立ちましたが、最後に顔を見て現実であることを漸く理解し、溢れる涙を留めおくことができませんでした。
先日、起業が前提という人を採用するか否か? というエントリでもお話しした通り、私たちは普段意識していない、あるいは目を背けているだけで、全員に例外なくタイムリミットがあります。そして、今回の件で友人が教えてくれた通り自分の時間の残量は分からない以上、どのような人生を送るかは、「限りある時間を、どの分野に投資するのかというポートフォリオ」で表されると考えています。
家族のために多大な時間を使うのもその人の人生ですし、仕事に明け暮れるのも人生、ゴルフやテレビに時間を費やすのもその人の完全な自由です。つまり、幸福な人生とは、人から与えられたり押しつけられたりした結果ではなく、自らの価値観に基づいて、自発的に設定した投資比率で時間を使うことによってのみ実現できると考えます。
時間が人生を形作ると考えるのであれば、比率だけでなく、時間の総量を増やすことも大切になるでしょう。たとえば健康を維持するという行動も、将来罹患した際に無駄になる時間を節約するという意味で「時間を増やす行為」と言えるし、私のように「会社の近くに住む」というのも、時間を増やす行為と言えると思います。
※私の通勤時間は10分ですが、片道60分の人と比べると、通勤時間の差は10年間で (60-10)×2×200×10÷60÷24 ≒ 約140日ほどになります
図らずも親しい友人の悲報が、
(1)時間を増やす (2)自らの価値観に基づいて時間の配分比率を決定する
この2点によって人生が方向付けられることを再認識させてくれました。
お通夜には驚くほど多くの弔問客が訪れており、故人が友人を大切にしながらも、仕事にも打ち込み、同僚や取引先からの信頼を得、最愛の伴侶も見つけ、すばらしい時間の使い方ですばらしい人生をつくられてきたことを確信しました。
人生の道半ば、しかも新婚早々に旅立たねばならなかったことは不本意かもしれませんが、故人が身をもって教えてくれた「自分は今日死ぬかもしれない」という前提を忘れることなく、残った私たちが故人の分まで精一杯やれることをやろうと、改めて思い起こした次第です。
樋口くん、今までありがとう。安らかにお休み下さい。