こんにちは、大石です。
当社ではこの2010年4月期より新卒の第一期生を迎え、ちょうど1ヶ月が経過しようとしています。
よく言われている様に、今期の新卒は「ゆとり第一世代」に当たるわけですが、正直な所そんな不安要素は微塵も見えず、むしろ「自分が一年目の時ってこんなにしっかりしてたかしら?」と思ってしまうほどの優等生ぶりです。懸念らしい懸念と言えば、優等生すぎるかもということくらいでしょうか?
今年も去年の成功をリピートすべく新卒採用に力を入れているわけですが、昨年の採用を通じて感じた「できる、できないの差が激しい」という懸念は今年の採用活動をみても同様に継続しています。これにはやはり、「ゆとり教育」と呼ばれる公教育の水準低下が多少なりとも影響しているのであろうと思わざるを得ません。
公教育の水準が落ちることで、相対的に(家庭での教育を含めた)私教育の比率が増すわけですが、これは家庭環境や経済状況など、各戸個別の事情が大いに関係するわけで、親が教育に熱心であれば出来る子になるし、そうでなければそれなり、という二極化を招いてしまっているように見受けられます。
先日テレビの討論会で「ベーシックインカム」について、ホリエモンこと堀江貴文氏が「ベーシックインカムがあれば貧富の差が縮小するという主張は誤っている。むしろ最低収入があるから働かなくても良いと思うパラサイト組が増えつつ、努力によってそこから搾取しようという勝ち組とに二極化し、貧富の差は増大する」という主張をしていたと聞きました。
これは「公教育のレベルが下がる→やるやらないという家庭の選択で二極化」というゆとり教育の結果と、「ベーシックインカムによって勤労意欲が下がる→やるやらないという本人の選択で二極化」という構図と非常に似通っており、堀江氏の主張は的を射ていると感じました。
会社のモノを私物化することを「公私混同」という様に、私は会社という場所も「公の場」と思っています。
従って、継続的な学習や挨拶や身だしなみの徹底など「それが今期にどういう経済効果をもたらすのか」という金銭的な損得だけで判断しかねるコストも積極的に負担しています。それが、公の場でどう振る舞うべきかという問いに予断を与え、将来の見えない社内コストを削減することに繋がると確信しているからに他なりません。
入社1年目の3名を見て「ご家庭の支援があって、素晴らしい人間に育っているな」とニンマリしつつも、この優秀な3名の陰には(恐らく本人にはどうすることもできない理由で)就職できなかった数万人の若者が居るはずで、そうした若者に未来を提供するためのコストはいずれ負担しなければいけない。
そのためにも会社を強くして、きちんと利益を上げ続けなければならないと、改めて思った次第です。