大石蔵人之助の雲をつかむような話

株式会社サーバーワークス 代表取締役社長 大石良

就活生のみなさんへ ~文系?理系?~

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こんにちは、大石です。

image2月17日、18日の2日間で、計6回の会社説明会を行いました。 お陰様で昨年比5倍(!)という大勢の学生のみなさんにご来社いただき、サーバーワークスという会社のことについて知って頂けた、興味を持って頂けたことを素直に喜んでいます。

雪の中、また会社説明会が集中して忙しい中お集まり頂いたみなさん、本当にありがとうございました。

今回の説明会はたまたま文系の方が多かったことにもよりますが、アンケートや質疑応答で意外と多かった質問が 「文系だけどIT業界でもやっていけますか?」 というものでした。 当社に興味を持って頂けた方はこのブログも見て頂けるであろうことを期待して、ここで私なりの答えをお伝えしたいと思います。

私の答えは、「関係ない」

よく 「文系人間、理系人間」 という言い方をしますよね。 でもそれって、いつ、どこでどうやって、自分が文系か理系かを決めたのでしょうか? 高校1~2年生。16歳前後の時点で「数学が苦手か否か?」という基準の人が多かったのではないでしょうか? 自分が、将来の目標と明確な理念の下で「理系」「文系」を決めた人というのは少数ではないかと思います(違った方はごめんなさい)。 でもそこで一度「わたしは文系」「わたしは理系」と決めてしまうと、その一貫性を保とうとする力が自分の知らないところで働いてしまう。小さいことでも、一度決めてしまうと、そのように振る舞ってしまう、コミットメント効果と呼ばれる力が働いてしまいます(「影響力の武器」が詳しいので、興味のある方は一読をお勧めします)。 「文系」という道を選択してしまうと「数学が苦手」という意識が同時に刷り込まれてしまい、次第に「私は文系だから数学が苦手でも仕方が無い」という具合に自己弁護のツール、免罪符になっていく。 血液型占いなんかは典型ですよね。血液型と性格に相関は認められていないにも関わらず、「B型はガサツ」「AB型は二重人格」というラベルが張られると「私はB型だからガサツでも仕方が無い」とか「あの人はAB型だから・・・」という話になる。

数学が苦手な文系の方には残念なお知らせですが、これから社会人として成長していくためには、数学が教える思考法がどの業界・分野の仕事でも絶対に必要です。ITだから数学や物理ができなくちゃだめ、というわけではありません。同様に、理系だから国語力、文章能力が必要ないということにも絶対になりません。

芥川龍之介は 「文芸家になるためには数学ができなければいけない」 という意見を残していたことが伝わっています。数学も文学も、演繹的に結論を導くという理路に違いは無い。当社のトッププログラマーも(一般的に言う)理系脳ですが、日本語も極めて美しい。

国語・数学・物理で演繹的な考え方を、生物・歴史で帰納的なものの見方、考え方を学び、それを社会生活に役立てる。高校~大学生までの勉強は、今になってようやく「中身そのものも重要だが、それ以上に思考法を身につけるためのトレーニングだった」ということが朧気ながら見えてきました。

思考法そのものに、文理の違いは認められません。当社が求めているのは「過去の知識」ではなく、「これからの困難、課題を解決する能力」です。 「文系」か「理系」かは、過去のストックです。 その知的ストックを築く過程で、何を得てきたか? 私たちが重視しているのは、その点です。 「当社の価値観」でも「結果よりプロセス重視」を明確に謳っていることと同じ理屈です。

会社説明会でも、「これからの社会は難しい」という話をしました。 難しい混沌とした事象を、極端に単純化して捉えることは非常に危険だと感じています。これは歴史が教えるところでもあります。ヒトラーは混沌とした状況に、「ナショナリズム」という極端な解決策を提示して台頭した。 先の選挙でも「郵政民営化、YES OR NO?」という極端な論点が恣意的に示されて、多くの人が踊らされた。でも今になって、殆どの人が「真実は別にあった」と感覚的に気づいていると思います。

【文系・理系】 【血液型】 【星座】

そういう単純な分類で思考を止めてしまうのではなく、複雑なものを複雑な姿形のまま捉え、理解し、制御する知性。私たちが目指す「バランスの取れた成長」を目指すためには、そうした知性と、複雑さに飛び込む気持ち。この2つが重要だと考えています。

「文系」なのか「理系」なのかが問題ではない という言葉の真意が少しでも伝われば望外の喜びです。

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